馬鹿な人を慰めるときや馬鹿な人に無茶な商売を斡旋する時によく使われる言葉。
「馬鹿と天才は紙一重。」
これって本当なの?
って思ったので考えてみました。
はじめに。
紙一重とは「紙一枚の厚さ程のわずかな違い」という意味合いがあります。
つまり馬鹿と天才は「紙一枚の厚さ程のわずかな違いしかない」ということ、つまりほぼ同じ、近い存在ということになります。
本当にそうなのかを考えるためにはまず馬鹿と天才はどんな人のことを指すのかを考える必要があります。
世間一般的な解釈では
・馬鹿=人より劣っている人
・天才=人より優れている人
で間違いないと思います。
そしてこの人よりというのがすごく曖昧で難しいです。「人より」を言い換えると「普通より」ですね。
なのでこれから先に出てくるこの「人より」というのは「そこそこ多くの人がまあそうだよね」って思うくらいを基準にしていますのでそのつもりで読み進めて行って頂けると幸いです。
馬鹿な人とは?
まず馬鹿な人とはどんな人か?を考えていきます。
先にも記述しましたが基本的に人より劣っている人に対してバカと言われることが多いようです。
しかしサッカーがクラスで一番下手だったとしてもその人を馬鹿だと表現するのはちょっとまと外れです(子どもの悪口ならよくあるよね)。
どちらかというと学力や思考力面で言われることが多いですね。ようするに頭が悪い人です。
勉強が出来ない人
例えば学校のテストの点が低い人はよく馬鹿だと言われたりしますね。
基準点(普通)よりも低い人に対して点数の高い人が「あいつは馬鹿だ」と声に出さなくても心に思っているかもしれません。
社会に出ても学力のない人は馬鹿扱いされます。
なんでそんな計算できないの?なんでそんな字が書けないの?
「馬鹿かおめーは。」
馬鹿でサーセンwww
無知な人
勉強の出来ない人と若干似てますが知識のない人は馬鹿にされます。
いくらセブンイレブンが地元にないからってセブンイレブンを知らないと相当馬鹿扱いされます。ヤドカリを貝の仲間だとか言ってたらもう海の世界では生きていけません。
今の総理大臣が誰なのか?アメリカの大統領は?TPPって何?等、最低限の時事ネタくらい知っておかないと口に出さなくても馬鹿のレッテルを貼られます。
ちなみに私は学生時代相当無知な人でした。
一般常識がない人
礼儀、マナー、モラルのない人は馬鹿扱いされますね。
子どものいるとこでタバコを吸ったり、車に子どもを放置したり、飲食店に犬を連れて入ろうとしたら注意されて逆ギレしたりする人は馬鹿扱いされた挙句、社会のクズ呼ばわりさせます。
俗に言う空気読めない人も馬鹿扱いされることが多いようです。
天才とは?
天才の代名詞といえば真っ先に思い浮かぶのは「アインシュタイン」、「エジソン」、「ダヴィンチ」、「手塚治虫」辺りでしょうか。
現在も現役活躍中といえば「イチロー」、「鳥山明」・・・しか思いつきません私はw
馬鹿と違って天才は「頭のいい人」だけではなくスポーツや芸術の世界でも多く言われる用ようです。
その分野で秀でている人
天才と呼ばれる人に共通するのがその分野で特別な成果を出した人たちです。
野球界ならイチロー、長嶋茂雄、音楽界ならジョンレノン、マライアキャリー等、それぞれその世界で頂点を極めた人は天才と呼ばれることが多いです。
特殊人間的な人
もはや人間技ではない!と思わされるくらい人に出来ない秀でた能力を持っている人を天才と呼ぶことはよくあります。
例えば手塚治虫は一日で何十冊の本を読み、しかも一度読んだ本を忘れない記憶力の持ち主だったと言われています。
生涯描いた漫画作品は700タイトル以上、原稿枚数にして15万枚、それだけの漫画描くにはそれ以上のインプットが必要になります。
一般人とずれている人
すごく頭がいいのに当たり前のことを知らない、そんな人は天才扱いされやすいようです。
普通の人と考えていることが違う、考えが先を行き過ぎて普通の人が考えていることを全く考えていない、天才のイメージってこんな感じですよね。
イチローはメジャー移籍後何年もの間毎朝カレーを食べていました。飽きないのかねと思っていたらいつの間にかそうめんになってるらしいね。
馬鹿と天才の共通点を探す
記事のはじめの方でも言いましたが紙一重ということはごくわずかな違いしかない、馬鹿と天才は紙一重ということは馬鹿と天才はほぼ同じような物だということです。
どこが同じなのか共通点を拾ってみましょう。
その1 一般常識がない、ずれている
それぞれの特徴を書き出した結果、その1とか書いていますがこれしかありませんでした。
普通の人が知っていることを知らなかったり、理解に苦しむような言動をしたり・・・これらは馬鹿にも天才にも共通する特徴ではないかと考えます。
当たり前といえば当たり前すぎる結果・・・しかも思いつかないw
馬鹿と天才の決定的な違い
というわけで決定的な違いを考えることにしました。
大きな違いを正していくことで馬鹿と罵られてきた人たちが天才に近づけるかもしれません。
認められているかいないか
天才は人々に天才だと認められるまで天才ではありません。下手すれば馬鹿扱いです。多分「天才と馬鹿は紙一重」といわれるのはこれが理由なのでしょう。
「認められているか認められていないか」それだけ、果たしてそうなのか。
生産的な才能があるかないか
人に認められるには何か評価される能力が必要です。
たとえ真似できないような芸道でも役に立たず、誰も面白いとも思ってくれないような物では何の評価もされずただの馬鹿な人扱いです。
他の人とは違う能力が優れているか否かは他人が決めるもの。生産的な能力かどうかで認められるかそうでないか、つまり馬鹿か天才かが決まります。
まとめ
「馬鹿と天才は紙一重なのか」
そんなわけねえだろと思いながら書いていましたが案外「当たる人か当たらない人か」は紙一重かもって思いました。
私はジュラシックパークのマルコム博士の口癖だった「カオス理論」が好きなんですよね。
「力学系の一部に見られる、予測できない複雑な様子を示す現象を扱う理論」
昨日まで馬鹿扱いされていた人が明日は天才になっているかもしれません。
人生何が起きるかわからない。
「馬鹿と天才は紙一重」