先日「そんな絵じゃ食っていけない」という的外れな意見に対して思うことという記事を書いたら、そこで紹介している本の著者(ちきりんさん)がtwitterで拡散してくれてバズったりしました。
いやあtwitterって侮れないですね。ビビりました。
そんな中、気になるコメントを頂いたので今日のネタにすることにしました。
こんな感じのコメントね。
けっきょく奥さんの絵は売れてるのでしょうか?
売れてないなら、奥さんは「絵の腕」もないし、「マーケット感覚」もないってことになりますよ?それとも重要なコトですが、ちきりんさんも言ってるとおりマーケット感覚は後からでも身に付けられます。
つまり「絵の腕」がある人が後から「マーケット感覚」を身につけることはできるのです。
「絵の腕」+「マーケット感覚」の両方を兼ね備えた人に、「絵の腕」がないあなたの奥さんが勝てますか?
これに対する回答も雑ですが書いていますので気になる人は上のリンクから読みにいってみてください。
勝ち負けに拘るのは何故か
このコメントで気になったのは最後の一文。
「絵の腕」+「マーケット感覚」の両方を兼ね備えた人に、「絵の腕」がないあなたの奥さんが勝てますか?
絵の腕は後からじゃ身につけられないのかとも思いましたがそれ以上に、
「勝てますか?」
の意味が私にはわかりませんでした。
これって何の勝負なんでしょうかね。
絵の上手さ?マーケットを含めたという意味では売上勝負?
その本意は書いた本人にしか分かりませんが私はどちらかというと後者の意味で書いたんじゃないかなと思います。マーケット感覚を兼ね備えたという意味で絵の勝敗ではないでしょうから。
でもさあ。
売上という意味で勝負するならおそらく全く絵を書けない人でもイラストレーターより売上上げられると思いますよ。
だって別に自分で書く必要なんてないわけですから。pixivやファーストデザイン、クラウドワークスやランサーズを活用すれば描いてくれる人なんていくらでも見つかります。
そういう意味では「絵」を売ることがすなわち絵を書けないとダメなんてことはないわけです。
だから「勝てますか?」の意味が本当に分からないんですよ。
勝敗に縛られている社会
私達は普通に育てられれば普通の学校で教育されます。
学校ではテストの点数を始め、学力や運動力の優劣を数値かされて評価されます。
表面上では個性がどうとか言ってるけど結局は点数の高い人が勝者で低い人が敗者。これは学校に限らず社会に出ても営業成績等で優劣を決定付けされます。
そんな社会で生きていると、すべてを勝敗で決める癖がついちゃってしまうんですよね多分。
だからこんな発言が生まれると思うんです。
「勝てますか?」
ちょっと的外れじゃないですかね。
「絵の上手い方が勝ちで下手な人が負け」
「歌の上手い人が勝ちで下手な人が負け」
「売れている人が勝ちで売れてない人が負け」
世の中そんなに正しくなんてないんですよ。
絵の下手な人が上手い人より売れていることなんてざらにあります。
歌が上手い人が必ず売れて下手な人が必ず売れないのならオリコンがジャニーズやAKBで埋め尽くされることなんてないでしょう。
SMAPの中○さんはEXILEのボーカルに勝っているんでしょうか。
売上が上だからといってそれがすなわちアーティストとして勝利していると言えるのでしょか。
勝敗に拘る人は思考停止している
これは私の完全な持論だけど、社会人になっても勝ち負けに拘る人は考えることを放棄しているんじゃないかなと思います。
私は下手だからどう頑張っても勝てない。だから辞めよう・・・
これってどうなんですかね。
学校のテストでクラスメイトに勝つにはそのテストの点数を上げるしか方法がありません。
同じく体育でも評価基準となる100m走のタイムや跳び箱の跳べる高さを伸ばすことでしかクラスメイトに勝つことは出来ません。
だけど社会に出てみるとそんなに単純にいかないことが多いです。特にアーティストやクリエイターと呼ばれる仕事は評価基準が不明確でわかりにくいことが多いです。
さらにフリーランスで働くと評価される対象さえも自分で選択するわけですから、何が勝ち負けなのか、誰が勝敗を決めるかなんてもんは全くわからない。自分自身で決めるしかないけです。
だけど自分で決められるからこそ道は開けてきます。
下手な絵でも方向性によっては評価されることもあるし、下手な歌でも売れることはある。
自分が「こうだ!」と思う道以外にも方法はいくらでもあります。
単純に「勝った」、「負けた」でしか判断しない人は何も考えてないんじゃないかなと思います。
そういう人はクリエイターとかフリーランスなんかやめて会社員で働いたほうが楽だと思いますよ。
だって会社員なら評価基準もある程度分かるし、誰にどうすれば勝てるかなんてのも明確なことが多いですからね。