大人になっても忘れない教えこそ真の教育だ!
高校時代の恩師、K先生は口癖のようにそう言っていた。おかげで私たちはその言葉を忘れていないわけですが。
岡村先生の話
花を見て綺麗だと思うことを忘れないこと
どうせ学校で習ったことなんてすぐ忘れちまう。だけどこれだけは覚えていて欲しい。
例えどんなに忙しくても「花を見て綺麗だと思うことを忘れないで欲しい」
大人になって忙しい時、そういや岡村がこんなこと言ってたなって思い出してくれたら俺は役に立ったということだ。
卒業する少し前、岡村先生はそんなことを言っていた。高校を卒業して9年くらい、今頃してやったりと思っているだろう。
でも今日はそんな話したいわけではない。
今日はお金のこと。私が学校の授業で唯一価値観までも変えさせられたのがこのお金に関する授業。当たり前だが現代の教育でお金に関する教育をしているわけがなく、私もそれを受けたわけではない。
価値観を変えさせられたのは現代社会の授業である。
お金は交換の手段
物々交換から生まれたお金
現在の教育で唯一お金についての教育を受ける機会があるのは現代社会だけだ(多分)。
現代社会ではお金が何故生まれたのか?お金の誕生ストーリーが歴史と共に送られる。
そしてお金が誕生する前は物々交換が基本だった。
例えば漁師が釣ってきた魚と農家で採れた野菜と交換するというもの。
しかし野菜は採れない時もある、魚も捕れない時がある。今日は交換するほど捕れなかった、でも野菜は必要、そんな時代わりに渡したのが貝殻だった。これ一個で次捕った魚一匹と交換するからってね。
さらにデカイ魚だと貝殻二枚とかめっちゃ綺麗な貝殻とかに置き換えてみた、どうやらそれがお金の始まりらしい。
価値のあるのはお金ではなく物
貝殻自体は食べることも出来ない。現代のお金に置き換えても同じことで物と交換できないお金なんてただの紙切れでしかない。
船の上で遭難した時いくらお金があっても役に立たない。本当に価値のあるものはお金ではなく食べ物ということに気づかされるだろう。
よく考えてみて欲しい。フェリーの中ではただの100円アイスが何故300円もするのか?ラウンドワンの自動販売機は缶ジュースが150円、ペットボトルは200円で売られている。
値段が変わるということ物の価値が変わるかお金の価値が変わる時だというのが一般的な解釈だ。
ではこの場合お金の価値は変わったのか?ラウンドワン内で急激なインフレが起きているのか?そんなわけがない。
変わっているのはいつも物の価値だ。フェリーの中ではそこでしかアイスを買うことができない。ラウンドワンでは外に買いに行くことは出来るが外に買いにいく時間と労働力を数十円で買っていると考えれば安いもの。つまり自動販売機に売られているジュース自体にそれらの付加価値がついたことになる。
本当に価値があるのは人だということ
time is money、時は金なりという言葉がある。
本来は時間はお金のように大事だ。だから無駄遣いしてはいけないということだろう。
しかし、我々のようなビジネスマンや事業家にとって時間をお金に変えるという意味で使われることが多い。
同じ時間でどれだけ稼げたか?稼ぐための時間の使い方、時間の投資方法。
ビジネスマン、事業家は常に時間とお金を天秤に掛けている。
100円のコーラを1000円で売ることができれば一回で儲かる金額は10倍、時間効率も10倍だ。いつもそんな方向に向かっている。
今思うと岡村先生はそんなビジネスマンになるなと言いたかったのだろう。
お金稼ぐために走り回って過ごす日々になっても大事なのは人の心、気持ちだということを忘れるなってこと。
お金は手段だ
ライブドアの堀江さんを始め多くの事業家は首を揃えて「お金を稼ぐのは通過点に過ぎない」のようなことを言っている。
ある事業家は「お金はやりたい趣味を好きなだけやるために最低限必要なだけあればいい」、「家族と一緒に過ごす時間が欲しい。やっぱり子どもと一緒に居たいでしょ?」と話す。
お金がなくても生活できるということ
お金がないと生きていけない、だから仕事を辞めたくても辞められない。
これらは詭弁だ。私はお金がなくても生きていく手段を知っている。
別にホームレスになれと言いたいわけではない。
家がなければ友達の家に住めばいい。腹が減ったらスーパーやコンビニで働いている友人に廃棄弁当貰うなりすればいい。携帯料金ぐらい払ってくれる女がいれば文句なしだろう。現にそんな生活をしていたこともある。
我が家のお米は30kgで2000円だ。玄米だが脱穀はしているので精米機に掛ければ300円で白米になる。奥さんの両親の知り合いに農家の方がいるので安く頂けるわけだ。ちなみに相場だと10kg5000円くらいか。
仕事を辞めても死なない
飯食うために働いているという人は雇い主に命を委ねているといっても過言ではないだろう。仕事がなくなれば飯が食えなくなる=死を意味するわけだから。
3週間くらい前、大阪で30歳くらいの女性が餓死するという事件が起こった。この事件を聞くとお金がない=死に直結するかのように思えるが実はそうではない。
この女性の判断が間違っていなければこんな事態に至っていないはずだからだ。
例えば病院に行くというのはどうだろう?餓死するということは手前で必ず栄養失調になっているはずだ。そんな状態で病院に行って、
「お金がない人を診ることも出来ませんし治療することもできません」
と突っ返す病院は果たしてどれくらいあるだろうか?
それなりに大きな病院には医療費の相談員がいたりしてきっと力になってくれたはずだ。
彼女が餓死してしまった要因は貧困よりも相談できる家族や友人がいなかったことではないだろうか?
お金は選択の幅を広げるだけの手段
海外に行きたい!
これだけならお金がなくてもできる。親、友達に連れて行ってもらえばいいし、海外旅行のある会社に就職すればいい。
だけど一人で好きな所に行きたいとなるとやはりお金を払うのが手っ取り早い。
しかしここで考えて欲しいのははぜ海外に行きたいのか?
それは国内では出来ないことなのか?よく考えてみて欲しい。
本当の目的は何か
車が欲しい→移動だけなら電車やバスがある。
好きなところに行きたい!→南は九州、北は北海道まで行けますが。
自由に乗り回したい→レンタカーじゃダメなの?
マイカーあるとステキやん?→結局はそこか。
人に評価されたくてお金を稼ごうとする、お金を必要とすることは実は多い。高額なブランドバッグやアクセサリーが売れるのはそのためだ。
そしてもう一度考えて欲しい。本当に欲しいものはどれか。
金なのか物(ブランド品)なのか、いや違う、人の評価なんだ。
人の評価はお金で買うものではない
どんなに良い車に乗っても、ブランド品で着飾っても対して人に評価されない。
評価してくれるのはその恩恵に与ろうと目論む金の亡者だけだ。そんなやつらの評価なんて必要ないだろう。
人に評価されたがる人程高価な物を身につけたがる。誰もが知っている有名なブランド品を身につけたがるのはごく普通の一般的な主婦だけだ。
彼女達は自分の持ち物と旦那の所得しか競う(評価する)ものがない。故にブランド品が好きになるのだろう。
お金は選択を広げるための手段としては適しているが人の心までは変えられない。
お金に関するまとめ
私も若い時は(今でも若いが)お金が欲しくて欲しくて堪らなかった時代がある。いかにして金持ちになってやろうと考えたことか。
だけど今はお金がなくても幸せになれることを知った。
結局お金はなくても飯は食える、他人の評価はお金で買えない、それに加え仕事を辞めても死にはしないということに気がつけばお金なんて大した意味を成さないことに気づけるだろう。
それに気づいた時、仕事に対する考え方や人、物に対する考え方が大きく変わってくる。
人が動くのはお金じゃない。綺麗な花や景色を見たい時だ。
それにそんな感性豊かな人生の方が絶対楽しいよね。