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手段と目的を混同する人って結構多いよね。

2016 7/09
手段と目的を混同する人って結構多いよね。

突然だけど、あなたは東海第四の西嶋投手を覚えているだろうか?

去年、夏の甲子園で超スローボールを投げ、元フジテレビアナウンサーである岩佐徹さんがtwitterで批判したことで大炎上した。

元のツイートは削除されていて見れないのでまとめ記事から引用する。

東海大四のピッチャーのスローカーブ・・・ダメとは言わないが、少なくとも、投球術とは呼びたくない。意地でも。こういうことやってると、世の中をなめた少年になって行きそうな気がするが。ハハハ。 #高校野球#甲子園

naverまとめ参照

これに対して批判が殺到。ダルビッシュ選手が言及するなどもあって大炎上した。

「何様なんだよ」、「ルールに則ってるわけだから何も問題ない」、「スローボールは結構難しいし技術も必要。一つの戦法だろう」等々・・・あなたはどう思いますか?

色々意見あると思うけど、私はどちらかというと岩佐さん寄り。というか認める大人はちょっと危険である。

相撲の「変化」

12517001614_fc2dffa627_z credit: mount via FindCC

話が変わるけど相撲界にも野球のスローボールに似たような物議を醸すネタがある。

相撲では、立ち合いで相手の攻撃を見て正面からぶつからず、左右に避けてそのまま「叩き込み」等で勝敗を決める「変化」と呼ばれる行為がある。

まあ良く批判されるらしいけど、同様に「変化」を禁止するルールはないし勝つための手段として有効的。何も問題ないように思える。

しかし相撲はボクシングや柔道と違って「避ける」スポーツじゃないんだよね。

ボクシングにはステップバックやスウェーバックのような後ろに下がって攻撃をかわすテクニックがあるけど相撲にはそんなもんはない。

行司の「はっきょ~い、のこった!」の合図直後にステップバックしてかわすような力士がいたらおそらく大問題だろう。

そしてそれをお互いが様子を見ながら間合いを取るようになったらもはや相撲とは呼べなくなる。ただの取っ組み合いのケンカか総合格闘競技になるよね多分。

「変化」を禁止していない以上ルールを則った範囲(ステップバックはさすがにルール違反だろう)ならば何も問題はない。

先に述べた野球のスローボールもそうだけど「勝つ手段の一つだから批判すべきではない」と思ってる人は今日の話はとても参考になるかもしれませんね。

目次

目的と手段

勝つためにルールに則っている範囲なら何をやってもいい。

という考え方に私は批判的です。そう、先ほどの「スローボール」や「変化」はすべきではない。

何故ならスポーツの最終目的は勝つことじゃないから。

目的を忘れていないか

野球に限らず勝ち負けのあるスポーツってのはついつい本来の目的を忘れがち。

最初に述べた高校野球も「勝つこと」を目的にすると破滅に向かいます。私が学校の先生ならきっと強く訴える。

そもそもスポーツをする最終的な目的って勝つことじゃないんだよね。

例えばプロ野球が何のために存在するかというと、野球をプレイする選手と観客が楽しむためですよね。広い客席があったりテレビ中継したりするのはそういう目的があるわけで、観客が楽しくない野球をするならそんなもん必要ないわけ。

高校野球は本来観客に見てもらうためのモノじゃないかもしれないけど、それでも少なからず保護者や関係者等、応援する人達を楽しませるプレーをする必要はあると思うんだよね。

※スローボールが見ている人を楽しませるプレーかどうかってのはあると思うけど一般的に面白くないプレーだという前提で話してます。

スポーツ界の暗黙のルール

Fresno State At Texas Tech
credit: Jacob Snow via FindCC

野球界には「バッターは相手捕手のサインを見てはいけない」等、暗黙のルールがある。

バスケットボールにも本来「シュートしたボールに対して落下を始めてから手を触れると反則となる」ルールがあるが、その体でいくとシュートかパスか疑わしいアリウープも反則ということになる。だけどルールという縛りによって試合をつまらなくするのは誰も喜ばないので笛を吹く審判はいない。

スポーツに限ったことじゃないけど目的を成し遂げるための「不文律」ってのはよくあるよね。

何のために勝敗を決めるのか

野球やサッカー、バスケなど多くのスポーツには勝ち負けやスコア(記録)が存在する。

それらが何故あるのかって当然見ている人、プレーしている人が楽しむためにあるんですよ。

どちらが勝つのか?どっちが強いのか?新記録更新なるか?それらの要素が見ている人を楽しませる大きな要因になるし、プレーする選手もやりがいを感じる。

勝ち負けってのはあくまで自分と見ている人が楽しむための一つの手段なんだからそれを忘れて勝ち負けを最終目的としても何の意味もないよね。

何のための目標か

401770711_40ed82e522_o credit: Gìpics via FindCC

今日この話を書こうと思ったのは年明けということもあって「今年のやりたいこと」、「成し遂げたいこと」、「今年の目標」ってのを多数みて思ったから。

「それ、ホントにやりたいことなの?」

ってね。

例えば「貯金○○万円」ってのは結構ベタでよく見かけたけど私はあんまり理解できないんだよね。いやまあ自分が変わってるって自覚はあるけど。

だって、例えば「100万円」って目標立てたとして、貯金ってまあよほど無理のある計画じゃない限り自分が我慢して使わないようにするかもっと稼ぐかで達成できるじゃないですか。

例えば去年50万だったから今年は倍の100万にしたいなら月5万くらい余分に残せるように節約するか副業するかすればいい。

だけどそれをすることによって自分がやりたいこと我慢したりやるべきことやらなかったら意味ないわけ。

貯金って多分自分が豊かになるためにするモノだと思うけどその為に豊かじゃない生活するって本末転倒だろって感じです。

もちろん将来こうしたいからとかそういう明確な目的があって、その一つの手段としての貯金なら理解できる。だけどなんとなく将来のためとかってホント理解できない。

早寝早起きを習慣化するのも規則正しい生活で健康的になりたいか自分の効率化のためっていう目的だと思うけど、その為にやりたいこと、やるべきことを犠牲にしたら何も意味ないよね。

だから私は基本的に目標とか立てない。まあひとつだけあるとするならば「やりたいことを素直にやる」です。

あなたの目標は本当にやりたいことですか?

手段が目的になっていませんか?

今一度考えてみるといいかもしれません。

この記事を書いた人

ブログ及びアフィリエイトアフィリエイト収入で生活してます。高知から千葉に移住しました。

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