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前向きなのはいいんだけど地面に顔をぶつけるような行動をしていないか。

2016 7/09
前向きなのはいいんだけど地面に顔をぶつけるような行動をしていないか。

こんな記事を見た。

パワハラをきっかけに見えた人生の目的(ミッション)| Love to life

概要はこんな感じ。

上司からとんでもないパワハラを受けて死にたい気持ちになっていたが、DMTPというある種の自己啓発セミナーみたいなやつを受講したら前向きになることが出来て人生が変わった。

今私が幸せな気持ちになれたのはそのパワハラ上司のおかげだ。

もしパワハラ上司に出会うことがなかったら自分のやりたいことが見つからず、会社の奴隷になっていたと思います。
人の評価、査定ばかりが気になって自分らしく生きられなかったと思います。

DMTPという自己啓発セミナーのことは何年か前に聞いたことはあった。私は別に自己啓発セミナーを否定する気はないし彼が救われたのならそれはそれで価値があるのでしょう。素晴らしいことだと思う。

絶対やらんけどねw

ちなみに受講料50万くらいっす。人生変わるなら安いもんだね。

目次

前向きなのはいいんだけど地面に顔をぶつけるような行動をしていないか

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credit: DaylandS via FindCC

「前向きなのはいいんだけど地面に顔をぶつけるような行動をしていないか」

これは私が昔尊敬する人が良く言ってた台詞。

冒頭に紹介した記事を見てこの台詞を真っ先に思い出した。

彼?地面に頭ぶつけていない?

物事には必ず二面性がある

簿記を習ったことがある人なら分かると思うけど簿記の世界では一つの取引があった時、帳簿上では二つの項目に分けて記帳される。

例えば何か仕入れを行った時、商品(資産)を入手したという勘定科目と代金を払った、もしくは払う予定である(負債)という勘定科目を記入する。借金をした場合は現金(資産)を入手したという勘定科目と同時に借入金(負債)を抱えるという勘定科目を記入する。

簿記の世界だけでなく私達の身の回りで起こることは一見一つの出来事に見えても必ず二面性があるというのが私の持論です。

なぜなら私達が選択を迫られた時、何か行動をした時すべて自分が選んだ道とは別の道を捨ててきているわけだから。

そう考えると如何なる出来事でも前向きにとらえることが出来る。

何かを失った時、思い通りにいかなかった時、それがなくなったために別のモノを必ず手に入れるわけだからね。

ポジティブ思考は幸せになれるのか

すべての事柄に二面性があるなら考え方一つで如何なる出来事でも良いと捉えることが出来る。

冒頭の記事を書いた人のように嫌な上司のおかげで新しい道を開くことが出来た(会社の奴隷にならずに済んだ)。

いじめられたことでいじめられている人の気持ちが理解できるようになり優しい人間になれた。

あの時挫折を味わって諦めることが出来たため今の自分がある。

現に私も貧乏な家庭に育ったおかげで将来に対する危機感を持っているのかも知れないしこうやってブログを書いたりサイトを運営することになったのかも知れない。

とても嫌~なことでも前向きに考えることで救われるってことはよくあることだと思う。

だけどこれでいいの?

って思っちゃうわけ。

だって何の解決にもなってないでしょ。

確かにバカな上司の下で嫌々働くのよりも、この「上司は私を思ってのことなんだ」と思って働いている方が楽なのかも知れない。

だけど結局バカな上司の下で働いていることに変わりはないし前に進んでいない。

前向きに考えるのは大事だけど前に進んでいないと何の意味もないんだ。

だから「前向き過ぎて地面に向かって頭ぶつけてないか?」ってこと。

自己啓発セミナーにハマってしまう人の心理

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credit: James Radvan via FindCC

でもこういうのにハマってしまう人の気持ち分からんでもない。というか誰でもハマる可能性ってあるよね。

自己啓発セミナーも占いも宗教もマルチ商法もきっとどれも同じ。

ハマっちゃう人がいる理由はどれも似たようなもんだと思う。

お金を使うとハマりやすい

対価を求める人って多いよね。資本主義社会で生活していると何かを得るにはお金を払う必要があると同時に払った分は貰わないといけないという真相心理がいつの間にか刷り込まれている。

だから占いや自己啓発セミナーでお金を払うってことはその分対価を期待しちゃうわけ。それも無意識に。

これだけお金払ったんだからきっとすごいはずだ。

すごいものであってほしい。

じゃないと困る。

お金を払うとこれらの心理が働いて自分が求める結果を無意識に期待してしまう。特に金額が高ければ高いほどね。

例えば家を買ったほとんどの人が自分が買った家に対して不満をほとんど口に出さないのはそういう心理が働いているからなんだよね。だってクソ高い買い物だもん。良い買い物したって思いたいじゃない。

途中で辞めたら無駄になっちゃう気がするんだよ。

夢も希望もそれに託すしかない

この世知辛い世の中、自分で幸せいっぱいに過ごしている人って多分そんなに多くない。どんなに大企業に勤めていてもリストラ、倒産の可能性はどこでもあるし、嫌な上司、気の合わない同僚、人間関係で一度も悩んだことない人なんて多分ほとんどいないでしょう。

だから託す。その信じたモノに。

生きる希望とかそういうのが欲しいんだよ人間って。

私のように本気で頑張れば自分の力でそこそこ良い生活が出来るんじゃないかと本気で思えるおめでたいバーローならそういうの必要ないけど、そう思えない人ってホントしんどいんじゃないかなあ。先のこと考えるの。

幸せってなんだろうね

バスケ
credit: Tyler Stafford via FindCC

客観的に見て搾取されているようにしか見えない新興宗教の信者も自己啓発セミナー受講者も小ネズミ達も激しい思いこみによって幸せなのならそれはそれでいいのかも知れない。

そう考えると何が幸せなのか、何をすべきなのか分からなくなるよね中二っぽいこと言うけどw

私にもそんなことを考える時期があって結構迷いっぱなしだった。

だけど今は前向きにとかそんなことを考えることを忘れるくらい夢中になれるモノがある時が幸せなんじゃないかなあと思う。

それを阻害する要因は排除すべきだ。

「前向きになれ」

って自分に言い聞かせている人が幸せだとは思えないよね。

この記事を書いた人

ブログ及びアフィリエイトアフィリエイト収入で生活してます。高知から千葉に移住しました。

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