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長続きしない人は頑張って続けようとしてはいけない

2018 7/12
長続きしない人は頑張って続けようとしてはいけない

こんにちは。

以前twitterで100日チャレンジっていう言葉を見たんですが、私はこれに全くといっていいほど賛同できません。

何故ならそんなことしても私のようなミスター三日坊主だとどうせ続かない上にやるメリットもほとんどないからです。

この「あまりメリットがない」がポイントです。

ちなみに私に「100日チャレンジ」を教えてくれたブログ。否定するようですまないが…

jMatsuzakiさん(@jmatsuzaki)が呼びかけた#100日チャレンジを始めてみた

まあ単純になにか頑張って100日続けてみましょう。という感じです。100日に深い理由はありません。

目次

続く人と続かない人

おそらくこの「100日チャレンジ」というワードが心に刺さった人は普段何をやっても続かない(と思っている)タイプの人だと思います。

私も完全にその手のタイプで何をやっても基本的に三日坊主です。

で、二十三歳くらいになる頃には何をやっても続かないことはわかってきたので頑張って続けようとすることをやめるようにしました。

そしてそれから数年経つ頃には、続けられそうにないことは初めからやらないようにすることにしました。

何故長続きしないか

長続きしないのには当然理由があるわけなんですが、逆に長く続くのにも理由があります。

私ような三日坊主星人にとって根気良く長続きが出来る人はスゲーなあっえ思ってしまうんですが、実はそもそもこの「長続きする人と飽きっぽい人」という考え方が間違っているようです。

長続きしない理由は単純に続ける理由がやめる理由に負けているからなんですよね。

ソクラテスかプラトンだか何か忘れましたが、有名な哲学者の言葉に「いかなる行動でもその人にとっては善である」のようなものがあります。

何が言いたいかっていうと飽きっぽい人が資格勉強を途中でやめるのも、根気良く続けられる人が試験まで勉強が続けられるのも本人にとってはそれが善いと思った結果なんですよ。

つまり続かない人は途中で「やっぱや~めた!」ってしちゃったほうが善いと判断したわけなんです。

長く続く人と途中でやめちゃう人の決定的な違い

例えば大学生とかで同じ資格勉強を一緒に始めて試験日まで勉強できる人と途中でやめちゃう人がいます。

客観的に見ていた人は「長く続いた人は根気のある人」で「途中でやめた人」は飽きっぽい人に見えるかも知れないけど実はそうではありません。

単純に前者は試験勉強を最後までやりたいと思ってやっただけで、後者は途中でやめたいと思っただけ。

前者は頑張って資格取りたいから、勉強が楽しいから、親に怒られるから、他に特にやることないし時間もあるから等々‥
理由はさまざまだけどとにかく「勉強したい!」と思ったから続けられたわけなんですよね。

逆に後者は他にやりたいことあるし、別にその資格それほどほしいわけじゃないし、他にも道はあるし、メンドクサイし・・・

途中でやめたい理由が腐るほどあったわけです。だからやめただけだけ。

やる理由、モチベーションが「やらない理由」よりも小さいとやる意味がなくなるわけですから、途中で辞めてしまうわけですね。

頑張って続けようとすることにあまり意味はない

冒頭でも書いたように頑張って100日続けようと決めても続く可能性は上がらないし、例え続いたとしてもあまりメリットはないと考えています。

何故ならまず、100日という期限を設ける時点でそれはしんどいことだ、やりたくないことだ認定しているからです。

やりたくないから期限を設ける

例えばブログを頑張って3ヶ月間毎日一回更新すると決めた人はブログを毎日更新することをしんどいこと、やりたくないこだと思ってます。

毎日更新することに何の苦もない人は毎日更新するように心がけても最低何ヶ月間のような期限を設定しない。だって何の苦もないんだから飽きるまでそうしたらいいと思っているから。

ダイエットで3ヶ月で5kg落とすと考えている人は頑張って運動して食生活に気をつけることをスゲーしんどいことだと思っていますよね。

だけど元々日常的に運動してバランスの良い食生活の人はその生活を3ヶ月は続けたいとは思っていないんですよね。

100日間という期限を設定しなけらばならないのはおそらくやらなければならないと感じているけどできればやりたくないこと、もしくはしんどいことなんですよ。

で、何が問題かっていうとこのやりたくないことをやろうとすることが問題。

と私は常々思います。

ホリエモン達が好きなことをやれと言い続ける理由

ホリエモンや岡田斗司夫、脳科学の茂木健一郎、心理学者のアドラーが「やりたいことをやれ!」と言い続ける理由は二つあると考えます。

一つ目は散々書いてきたけどやりたくないことは続かないからです。

傍から見ればしんどそうなことを根気良く長続きしているように見えても、本人にとってはそれなりに楽しんでいるかも知れない。今はそれをやったほうがいいからやりたいと思っているわけ。

ブラック企業を辞めない人も辞めた後のことを考えたら今日のところはひとまず出社しようと思ったわけなんです。

もう一つ目はベストセラーになった『嫌われる勇気』でかなり強調していた部分、刹那に生きろってところです。

2-3年後合格を目指して司法試験の嫌々勉強している人がもし試験に合格できず挫折してしまった場合、その勉強期間はホントスゲー嫌な無駄な期間になる。

もしかしたら受験はおろか、資格自体もなくなっているかもしれないし、少なくとも大幅に改編されて勉強した範囲のほとんどが無駄になる可能性だってありますよね。

2-3年ならまだしも5年とか10年近くなるとホント死にたい気分になりそうです。

だけど勉強がスゲー好きで別に試験に受からなくても別にいいやくらいに思っていればその人にとっての勉強期間は充実したモノになる。

今は今しかないんだからボンヤリ見えているような気がする将来のために今を犠牲にするような考え方どうなのよ?

ってのがアドラーの考え方。私は大いに賛同します。

それでもやらなければって思う場合

まあそうはいっても、将来や今後を見据えて「やりたくないけどやらないとけないなあ」って思う場面はよくありますよね。

ダイエットなんて特にありがちでどう頑張っても肉などの油モノは避けなきゃいけないし運動もしないといけない。

そんなときはどうするか。

私はただひたすら「楽しめる方法」を考えます。

例えばダイエット。私は太ってないんだけどもしダイエットをしないといけない、運動をしないといけないとなった場合、迷わずバスケかバレーか何かのサークルに入ります。

サークルに入ってしまえば毎週定期的に運動出来るし楽しいからきっと続く。週一日じゃ不満なら二つ入って週二回運動します。これだけでおそらく普通に今よりは痩せると思います。

勉強だって同じ。会社から絶対とれと言われて資格勉強するなら精一杯楽して取る方法を考えます。それが思いつかなかったら上司に意味がない資格だと力説する。納得してもらえなければ会社辞める。それくらい嫌なことはやりたくないです。

もし、将来英語が必須だと考えて英語を勉強するならば、EAsportのサッカーゲームのような海外でも人気のあるオンラインゲームで英語圏の人と交流をするところから始めます。

まとめ

ダラッダラ長文になっちゃいましたがまとめると、

「嫌なことは続かないから期限を設けないと出来ないことはやらないほうがまし。それでもどうしてもやらなければならないなら精一杯楽しくできる方法を探しましょう。」

といったところですね。

100日チャレンジの目的が何かはっきりわからないんだけど前から「続かない人の勉強法」みたいなネタを書きたかったのでこれを気に書きました。

「なんとなく何かとりあえず100日やってみては?」

という趣旨なのかも知れないけど何かとりあえずやる前にやりたいことやれよって思う。やりたいことを探すならまあいいかも。

この記事を書いた人

ブログ及びアフィリエイトアフィリエイト収入で生活してます。高知から千葉に移住しました。

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