MENU

社会に出ても役に立たない学校の勉強はなぜ必要なのか?

2014 7/15
社会に出ても役に立たない学校の勉強はなぜ必要なのか?

先生「どうして勉強する必要があるの?」

生徒「良い学校に進学するためです。」

先生「どうして良い学校に行きたいの?」

生徒「良い会社に就職するためです。」

先生「良い会社に就職してどうするの?」

生徒「それは・・・」

先生「良い会社に就職してもそこに一生いるとは限らないでしょ。途中で嫌になるかもしれない。先輩にいじめられるかもしれない。今の時代、どの会社も経営危機でいつリストラ、倒産するかもわからない。病気するかもしれない。怪我するかもしれない。そんな先のことばかり考えて何になるわけ?」

生徒「・・・でも先生が・・・お母さんが将来のために勉強しろって・・・」

かつて日本テレビで放送された天海祐希主演のドラマ、『女王の教室』の終盤でのやり取り。

Huluで配信されていたので久しぶりに観たんだけどやっぱすげーなあ。これ以上メッセージ性の強いドラマって他にあんのかな。

当時も相当印象に残ったけど社会人になって今観るとホントスゲーなあとしか言いようがない。

しばらくこのネタ引っ張ってやろうかなあと思ってますが今日はそこで一つ気になったネタ。

「学校の勉強は何のためなのか?」

ってことについて書きます。

ちなみに冒頭のやり取りで鬼教師、阿久津先生が言いたかったことは、

勉強は言われてやるものではなく「したいと思うものであること。」

好奇心や探究心、わからないことについて自分で考える能力を養うために勉強はある。

探究心のない者は人間ではない。サル以下。立派な大人になるために勉強をしなさい。

814fd04e85518279ffcfc280e3f26a4a_s

目次

社会は偏差値で人を評価する

というわけでもう始まってますよ。勉強は何故必要かってこと。

学力社会とか学歴フィルターとかスゲー嫌いだしなんやそれアホちゃうか?そんなんで人判断できるかボケーって思いますが私がどれほどおかしいと思ったところで社会は変わりません。

一般的に社会では勉強ができるか出来ないかでその人が優れているのか優れていないかを判断しています。

社会で優れている人だと判断された人ととそうでない人では何が違うのか?

選択の自由度が違います。

前者は1000社から就職先が選べるけど後者は10社から選ばないといけない。それも前者が選ばなかった残り物からね。

書類審査では数字しか見れない

「ふざけんな!俺は確かに勉強は出来ないかも知れないけど人と話すのは得意だし人を喜ばすことだってできる!絶対俺が適任だろ!」

ってどんなに思ったところで書類審査では何も伝えることは出来ない。

求人を出すと大量に希望者が募る昨今の就活の現場では一人々全員の話なんて聞いてられない。

書類選考ではどの学校でどんな評価だったか書かれた紙切れでしか判断できない。採用担当はその中で候補を選ばないといけない。だから学歴フィルターとかあるわけ。

勉強はドラクエのレベルのようなもの

例えば英語とか中国語とかプログラミングとかweb製作とかそういう特技があればそれを要する分野では強力な武器になる。

そういった特殊技能はRPGで言うところの特殊技、リミットみたいなもんで効果のある敵には力を最大限に発揮できるけど効果のない敵にはノーダメージになってしまいます。

勉強が出来るってのは基本的なレベルが高いのと同じでどんな敵でも有利に戦うことができる。加えて特殊技能があれば尚良しです。

くだらない世の中だけどそうやって判断されるんだよ。

俺は起業するから関係ない!って人もいるかもしれないけど会社の看板がない状態では学歴ってのは何かと武器になる。Fラン卒の起業家と東大卒の起業家、どっち信用するよ?って話。

学校の勉強は頭の体操のようなもの

ココからは『女王の教室』の阿久津先生が言っていたことに近い人間の、自分の頭の中の話。

どちらかというとココからが本題です。

考える癖を身につける

学校の勉強って基本的に問題形式になっています。

テストはもちろん普段の授業でも教科書は常に「○○が○○すればどうなるか?」のような問題形式が基本。

国語の授業でも学校の先生は「これはどんな意味を表してますか?」って感じで常に問題、質問を投げかけてきます。

子どもはその問題に答えることより考えることが実は大事。大人になって何も考えない思考停止人間は世の中に大勢います。だいたい何が起きても人のせいにする。

考える力を身につける

学校の問題を解くのと例えば仕事や人間関係で生じた問題を解決することは実は似ています。

難しい問題を解く時これまでの知識を活用し、仮説を立てたり検証してみたり・・・

実際に社会で起こる問題も自分の知識、経験を活かし最善方法を考えるわけです。知っているか知らないかの暗記系は別ですが数学や理科系科目の考え方は実社会でも大いに役立ちます。

抽象度を上げる

認知科学者の苫米地英人氏は会社の就職試験で出題される一般常識レベルの勉強は抽象度を上げるために必要だと話します。

『抽象度を上げる』ってのはわかりやすく言えば幅広い知識を身につけて物事を総合的に見る力って感じ。AとBを知っていればCが想像できる。日本車とドイツ車を知っていれば世界の車の形状がだいたいは想像出来るってこと。

学校で習った勉強は直接的には役に立たないかも知れないけど間接的に役立つことって結構あります。

まとめとか

そんな私は学校でほとんど勉強してきませんでした。

特に歴史が嫌いで定期テスト10点とかでした。

親に「勉強しなさい」とか一度も言われたことなくて高校にさえいく気がなかったので学校の勉強はホント暇つぶしと興味本位程度。だから全く興味の湧かない歴史に関してはほぼ勉強しなかった。

だけど数学とか理科とか、中でも天体とか生物とか好きだったので点数はよかったんですよね。

ホント勉強って言われてやるもんじゃない。やりたいと思うことが大事なんです。でもそれって親が子どもに強制することは不可能で大事なのはそう思ってもらえるような環境を作ることなんじゃないかなあ。

と思ったりした。

この記事を書いた人

ブログ及びアフィリエイトアフィリエイト収入で生活してます。高知から千葉に移住しました。

目次
閉じる