明けましておめでとうございます!
この「おめでとう」がなんだかよくわからないけどおめでとう。
正月は嫌いじゃないです。仕事は大抵休みだし、お雑煮や突き立ての餅が食える。まだ食べてないけど。お節は嫌いです。旨くないから。
今日はおそらくどこの神社に行っても満員御礼でしょう。普段お参りなんて行かないクセに今日だけは盛り上がる低品質な連中に渇を入れたいところだけどまあ別に神社なんていかねえし・・・
画像は『新世紀エヴァンゲリオン』のラストシーン。意味不明だったエヴァも繰り返し観るとだいたい解ってきた。これは碇シンジの成長物語なんだよね。
「おめでとう」と言われているのは自信が持てたシンジ君に対して。
正月は1年の始まりなのか
今日から西暦で言うと2015年、和暦で言うと平成27年がスタートする。私達はある程度、暦に沿って生活を送っている。3月に学校を卒業して4月に新入生が入学し、社会人となった若者は会社に入社する。8月のお盆休みに墓参りに行って年末に年賀状を書き、そばを食べて正月にお節を食べる。
だけど私はこれにすごく違和感があるんだよね。
確かに暦の上では正月は「始まりの日」なのかもしれない。だけど私にとって1月1日はただの祝日で、12月31日の次の日に過ぎない。だから私は毎年平常運転なんだけど。
暦の上では確かに1年の始まりなのかもしれないけど、人間にとって1年の始まりが1月1日だろうが12月1日だろうが別に関係ないじゃん?って思うわけ。
2015年は2014年の続きなわけで、そこから急に変わるなんてただの幻想でしょ。
個人にとって一年の始まりにすべきなのはどちらかと誕生日なんじゃねえの?って思うよ。どちらかと言えばね。
年賀状という社交辞令
電話が発明されて150年以上経ち今ではいつでもどこでも電話が繋がるようになった。さらにどの家庭でもインターネットが使えるようになり、いつでもどこでもメールのやり取りが出来るようになった。
なのになんで未だに年賀状なんてもんがあるかかなり謎です。
いや、年賀状そのものが残るのはわかる。歴史的な意味で、「昔はこういう風習があったのだよ」と親世代くらいから伝わる程度であるべきだと思うんだよね。
そんな便利な世の中で「送らない人は常識がない」みたいな社会どうかしてるだろどう考えても。
「ただ空気読んで送ってるだけってことバレバレだから常識とかいう武器振りかざしても手遅れですよ」と言いたいw
集団心理に呑まれてないか
毎年思うことなんだけど、年賀状も今年の目標も周りに流されてるだけですよ。
もし世の中のほとんどの人が年賀状を出さなくなれば化石になるだろうし、テレビがなくなるだけでおそらく今年の目標を掲げる人が激減するだろうと思う。
私は子どもの頃から「みんながやってるから」という理由でやりたくないことをやるのが嫌いでした。保育園の昼寝とかね。
だっておかしいでしょ?
「みんな」がやっていて楽しそうなことに便乗するのは良いけど「みんな」がやってるつまらなそうなことは誰だってやりたくないでしょ?
もう少し自分に自信を持つべきです。人と違うことをしてても自分が正しいっていう自信をね。
そんな大人です。
というわけでおめでとう。